おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

日常を整えるための大前提|自分は大事

大前提

 

日常を整え、日常を安定させるためには、大前提として「自分は大事」ということに気がつく必要がある。

 

日常的に不安や苦しみが多い人は、自分で自分のことを粗末に扱っている傾向が強いのだけれど、自分というのは一生付き合っていくもので、離れたくても離れられないもので、だからこそ誰よりも身近な存在であるがゆえに誰よりも大事にしていく必要がある。

 

仮に自分よりも大事な人がいる、自分よりも大事なことがある、と思っていたとしても、その人やそのことを大事にするために、まずは自分を大事にして整えていないと自分以外のものを大事にすることはできない。

 

そして、自分を大事にするために何か特別なことをする必要はない。

大金を投じて大掛かりなことをする必要はない。

 

以下の3つを心がけていくことで日常が整い、自分を大事にできるようになる。

 

1|自分を乱す習慣をやめていく

2|自分を整える習慣を身につけていく

3|自分の良いところも悪いところも寛容に受け入れていく

 

これらは「自分は大事」という大前提に立てば、自然と導かれてくる心がけだ。

 

今自分のことを大事に思えていない人でも、これらを心がけていけば自然と「自分は大事」という大前提に立てるようになってくる。

 

1|自分を乱す習慣をやめていく

 

自分を乱す習慣というのは基本的には心身や日常生活に害があり、なおかつ中毒性のある習慣のことだ。

 

例えば、酒、タバコ、ギャンブル、ジャンクフード、スマホ、ネット、ゲーム、ポルノ、風俗、薬物、買い物等。

 

自分は大事なのだから毒物はあまり摂取しないほうがいい。

だから、酒やタバコやジャンクフードは避けるべきだ。

 

自分は大事なのだから当然自分の時間も大事になってくる。

そして自分の大事な時間を使って稼いだお金も大事になってくる。

 

自分を乱す習慣にあたるものは、そういった自分の大事な時間やお金を際限なく奪い取っていく。

 

時間とお金を投じた後で何も変わらない、ただの虚無しか残らない、そういう習慣からは離れていったほうがいい。

 

もちろん、上記のことをやること自体を否定するつもりはない。

 

自分なりに適度に制限を設けてうまく付き合っていければいいのだけれど、どれも中毒性が強いために、一線を超えるともう後戻りができなくなってしまうことが多い(中には脳が変質するものもある)。

 

よって、自分を大事にするためにそれらの習慣はやめていったほうがいい。

(まぁ、薬物は絶対にやめたほうがいい)

 

自分を乱す習慣から離れていくためには、大事な自分を大事にするため、という心がけが大事になってくる。



2|自分を整える習慣を身につけていく

 

自分を整える習慣というのは基本的には心身や日常生活に有益で、心身や日常生活を安定させてくれる習慣のことだ。

 

例えば、睡眠、自炊、洗濯、掃除、整理、運動、瞑想、読書、勉強等。

 

自分を乱す習慣を減らしていくと、相当な時間とお金と労力が捻出される。

 

その時間とお金と労力を「自分を整える習慣」に投じていく。

 

自分は大事なのだから、よく寝て体をしっかりと休ませる、瞑想をして心身を落ち着かせる。

自分は大事なのだから、自炊をして体にいいものを摂取する。

自分は大事なのだから、洗濯・掃除をして自分の日常空間を整える。

自分は大事なのだから、整理をして使っていないものを手放し、自分の持ち物をきちんと使うことによって自分の持ち物を大事にする。

自分は大事なのだから、運動や読書や勉強をして体や頭を適度に使うことにより体や頭を整える。

 

ここでのポイントは、自分を整える習慣を身につけるのは他人を見下すためではなく、自分を大事にするためであるということだ。

 

自分を整える習慣を身につけると基本的に生産性は上がりやすくなる。

 

それはそれで素晴らしいことなのだけれど、中には生産性を上げて、人よりも結果を残し、人よりも多くのお金を稼ぎ、それらの結果やお金を根拠にして他人を見下して優越感を得ることを目的に自分を整えようとする場合がある。

 

しかし、他人を見下して優越感を得ることをモチベーションにすると、すべてが競争となり、上下にとらわれてしまう。

 

人に勝っていないと落ち着かない、人よりも上でなければ落ち着かない状態に陥ってしまう。

 

人に勝つために〇〇しなければならない、人よりも上になるために〇〇しなければならない、と自分にムチを打ちながら日々を強迫的に過ごすことになってしまう。

 

つまり、一向に整わない。

 

よってあくまでも自分を整える習慣を身につけるのは、自分を大事にするためだ。

 

整える習慣を身につけるためには、自分を大事にするために自分を整える、という心がけが大事になってくる。

 

3|自分の良いところも悪いところも寛容に受け入れていく

 

私たち一人ひとりの中には当然、良い側面も悪い側面もある。

 

自信が持てる側面もあれば、自信がない側面もある。

人に誇れる側面もあれば、人に隠したい側面もある。

できる側面もあれば、できない側面もある。

温かい側面もあれば、冷たい側面もある。

善良な側面もあれば、邪悪な側面もある。

 

これは人間であればいたって自然なことで、この世の中には良い側面100%の人もいなければ、悪い側面100%の人もいない。

 

良いところも悪いところも含めて自分なのだから、自分の良いところだけ認めて、自分の悪いところは認めない、というのは自分を大事にするということにはならない。

 

自分の全ての側面を寛容に認めて初めて自分を大事にするということになる。

 

(1)自己否定をしない

私たちは自分の悪い側面に気がつくと、どうしても自己否定をしてしまう。

 

こんな自分はダメだ。

こんな自分には価値がない。

こんな自分なんてどうなってもいい。

こんな自分は苦しんで当然だ。

こんな自分はいなくなったほうがいい。

こんな自分はこの世から消え去ったほうがいい。

 

自分に悪い側面があるのは仕方がない。

 

そして、それを理由に自分で自分のことを否定したり攻撃したりすると、苦しみが生じてしまう。

 

自分で自分のことを否定したり攻撃したりすることによって自分の悪い側面がきれいに消え去り、良い側面に転じていけばそれは有意義なことなのかもしれない。

 

しかし、自分の悪い側面を否定したり攻撃したりして自分を苦しめても、それはただ苦しいだけで、自分の悪い側面は消え去ることはない。

 

大事な自分を自らすすんで自己否定をして苦しめる必要はない。

自己否定をして自分を苦しめても、ただただ苦しいだけで何も変わらない。

 

自分の悪い側面は悪い側面として否定することなく受け入れていく必要がある。

 

受け入れられなかったら、受け入れられない自分を受け入れていくところからはじめていけばいい。

 

(2)受け入れて肯定する

私たちにはそれぞれ、こんな自分は良くないと思える側面がある。

 

金がない自分

無職の自分

恋人がいない自分

病気や障害持ちの自分

独身の自分

低収入の自分

低身長な自分

ブサイクな自分

スタイルがよくない自分

 

臆病な自分

卑怯な自分

ケチくさい自分

鈍感な自分

無能な自分

冷たい自分

残酷な自分

変態的な自分

短気な自分

打算的な自分

見栄っ張りな自分

不器用な自分

傲慢な自分

欲張りな自分

 

そういう側面も紛れもない自分の一部なのだから、まずは受け入れていく必要がある。

 

この場合、受け入れるということは、自分には〇〇な側面があるなー、とただただ認めるだけだ。

 

良くない側面は良くない側面としてただただ受け入れる。

悪い側面は悪い側面としてただただ受け入れる。

 

しかし、悪い側面があるからといって、ダメでは決してない。

悪い側面があるからといって自分を否定したり傷つけたりする必要は全くない。

 

悪い側面があっても、楽勝で生きていてもいいし、楽勝で存在していてもいい。

 

悪い側面があることと自分の存在を肯定することは全く別物だ。

悪い側面があっても、そういう自分のことを肯定することは楽勝でできる。

 

自分の悪い側面を受け入れるということは、自分の悪い側面を正当化するということではない。

 

例えば、自分の悪い側面として、仕事をサボってしまう側面があったとする。

そして、その側面を受け入れたからといって、仕事をサボることが良いことにはならない。

仕事をサボってもいいということにはならない。

 

肯定するということは、ここにいてもいい、生きていてもいい、というように存在を認めることだ。

 

つまり、上の例で言えば、自分には仕事をサボってしまう悪い側面があるけれど、そういう自分はダメではない、ここにいてもいい、生きていてもいい、と存在を否定せずに寛容に認めていくということだ。

 

そうして自分の悪いところを受け入れていくことによって、改善に向けて着手していくことができる。

 

自分の悪いところを受け入れると、こんな自分はダメだと自分のことを否定したり攻撃したりすることがなくなるので、その分苦しまないようになる。

 

すると、苦しまない分だけ、自分の悪い部分を改善するために淡々と心がけ続けることができるようになる。

 

また、いくら心がけて改善できなかったとしても、改善できていないところは改善できていないところとして、それはそれで自分の一部なのだから受け入れていけばいい。

 

何度も言うが、改善できないからといって、正当化できるわけではない。悪い側面は悪い側面のままだ。

 

悪い側面は悪い側面として、正当化することなくありのままに寛容に受け入れる。

その上で、悪い側面がある自分の存在を肯定する。

その上で、少しでも改善できるよう心がけ続けていく。

 

そうして自分の悪いところが見えてくるたびごとに、寛容に受け入れて肯定し続けていく。

 

これが自分を大事にするということになる。

 

自分を直接大事にできるのは自分だけ

 

これまで述べてきたように、自分に悪い側面があったとしても、自分のことは肯定できる。

 

自分に悪い側面があったとして、そのことを寛容に受け入れ、自己否定をしなければ苦しむことはない。

 

つまり、自分が苦しむかどうかのポイントは、自分に悪い側面があるかどうかではなく、「悪い側面がある自分」を自分自身が寛容に受け入れて、大事にしようとするかどうかにかかっているということになる。

 

そして、自分自身を直接的に大事にできるのはこの世に自分しかいない。

 

他人が自分のことを否定してきたとしても、自分が自分のことを否定しなければ苦しむことはない。

逆に、他人がどんなに自分のことを大事に思ってくれて、自分のことを大事にしてくれても、自分が自分のことを大事にしない限り、苦しむことになる。

 

お前はダメな人間だからと他人からカミソリを渡されても、それで自分で自分を切りつけなければ、自分は苦しまない。

他人がどんなに自分を大事にしてくれても、自分はダメな人間だからと自分からカミソリを求め、自分を切りつければ、自分は苦しむ。

 

結局のところ、自分を直接的に大事にできるのは自分だけであり、最終的に大事にするかどうかを決めるのも自分なのである。

 

自分自身とは一生涯つきあっていく。

自分自身を直接的に大事にできるのは自分だけ。

自分自身を最終的に大事にするかどうかを決めるのは自分。

 

このことがわかれば、自ずと日常を整えたくなるのではないかしらん。