おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

「世間」も「人」も結局自分の幻想、というか自分。

どんなに圧倒的な結果を出してきた優秀な人であっても、

「嫌われることが不安で怖い」

と言います。

 

安藤広大『とにかく仕組み化』

 

人から嫌われるかもしれないと想像して言いたいことが言えなかったり、やりたいことができなかったりすることは多いのだけれど、その時にふと立ち止まってこう考えてみるといいのかもしれない。

 

「人」って誰かしらん。

 

私たちは他人や世間からの評価を気にするが、その際の「他人」や「世間」というのはいわゆる不特定多数の人間のことで、それって誰なのかしらん。

 

そして私たちはその不特定多数の人間が実際にどう思っているのかということを絶対に確かめることができない。(相手が一人の人間であっても、その人が実際にどのようなことを思っているかということは絶対に把握することはできない。)

 

それにも関わらず、「人」はこう思うに違いない、「世間」はこう思うに違いないと決めつけて、思い通りに動けなくなってしまうのだけれど、その「人」や「世間」というのは単に自分が思い描いている幻想、自分勝手に思い込んでいる妄想でしかない。

 

「世間はこう思うに違いない」とびびっている時、それは世間ではなく自分の中にそう思っている自分がいて、自分がそう思っている。

 

「人はこう言うに違いない」とひよって思っている時、それは人ではなく自分の中にそう言っている自分がいて、自分がそう言っている。

 

確かめようのないことをああに違いないぽよ、こうに違いないぽよと、自分勝手に決めつけて怖気づいているのが私たちなのであーる。

自分がただただ思っていることを現実と履き違えて、自分が思っていることの中で勝手に苦しんでいるのが私たちなのであーる。

 

「こんなことをしたら人から嫌われる」と怖気づいている人は、自分勝手に「人」というものを作り出し、そこに自分の考えを投影させて、人から嫌われる自分を想像しているのだけれど、実際のところ、自分がやろうとしていることを人がやると自分自身がその人のことを嫌うために、そのような想像をしてしまう。

 

例えば、これまでと違うやり方を提案する際に、人から嫌われてしまうかもしれへんどす、と怖気づいてしまうのは、自分がこれまでやってきたやり方と違う提案を人からされた時に、何よりも自分自身が相手に対して、舐めとったらあかへんど、と憎悪感情を起こすからこそ、自分が提案する側になったら、相手から舐めとったらあかへんどと思われるのではないかと思ってしまう。相手の心境などわかりもしないのに相手のそういう声が聞こえてきてしまう。そうして苦しくなる。

 

それは自分の日頃の冷淡な想いが自分に返ってきているだけで、実際に他人が提案した人に対して、舐めとったらあかへんど、と思っているかどうかというのは絶対にわからない。

 

人や世間が自分を実際に嫌いになっているわけではなく(もちろん中には自分のことを嫌ってくる人もいるかもしれないが、そうではない人も楽勝でいる)、自分自身が自分のやることなすことに根本的に否定的であるために、自分が想像上で作り出す人や世間も否定的なものしか思いつかない。

 

あるいは自分が日頃から世界や他人に対して否定的な見方しかできないために、世界や他人からは否定的に見られているように感じてしまう。

 

つまり「人」や「世間」というのは自分の想像でしかないし、その想像から受ける印象は自分が人や世間に向けて発している自分の思いが自分に返ってきているだけで、その想像もその想像から受け取る印象もそれは何よりも自分自身に他ならない。

 

私たちはしばしば自分の物事がうまくいかない原因を、人や世間のせいにするが、私たちの言う「人」や「世間」というのは果たして実体があるのかしらん。そして私たちは「人」や「世間」というものをありのままに正確に捉えることができているのかしらん。

 

この考えを進めていくと、すべては自分の思い込みであるということがわかってくる。目の前にいる人も、周囲で起こっている物事も、私たちは自分勝手な思い込みでしか捉えることができない。私たちは常に自分の思い込みの世界の中に生きていて、何かに付けて自分勝手に思い込んではそれを実際にそうなのだと断定し、喜怒哀楽、一喜一憂しているということがわかってくる。

 

本当にそうであることと、そう見えることの間には相当な乖離がある。

 

自分には世界がどう見えるのか、自分は世界をどう思い込がちなのか、自分は物事をどういうふうに捉えがちなのか、どういうふうに想像しがちなのか。

 

それが自分の世界っちゅうわけや。

 

自称圧倒的な結果を出している人も、自分が普段から世界や人に対して冷淡な思いを起こしながら過ごしていると(自称圧倒的な結果を出している人は、その結果を根拠にして周囲の人や世間を見下している可能性、冷淡な思いを発している可能性が大いにある)、当然その人が想像する人や世界は冷たいものになり、恐怖や不安が生まれてくる。

 

人間っておもろいどすなー。

 

声出して切り替えていこうと思う。