おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

大事なものは下手に増やさない

多数の卵を産めば、利益ばかりでなく代価がもたらされることははっきりしている。子作りの拡大は、子に対する保護効果の減少によってあがなわれる運命にあるのだ。

 

彼女は子作りと子育ての間で収支勘定をつけなければならないのだ。一匹の雌あるいは一組のつがいがかき集めることのできる食物その他諸資源の総量が、彼らが育てうる子の数を決める制限要因となっているのである。

 

自然状態では、養い切れる数以上の子をかかえた親は孫をたくさん持つことができず、したがって彼らの遺伝子が将来の世代に引き継がれることはない。(中略)自制を知らぬ放縦をもたらす遺伝子は、すべてただちに罰を受ける。その遺伝子を内蔵した子供たちは飢えてしまうからである。

 

リチャード・ドーキンス利己的な遺伝子

 

動物は自らの遺伝子を次世代に多く拡散させる、そのことを第一義的な目的として動いており、その目的のために進化してきた。そしてその進化の最新版が現在のありかたである。

 

自分の遺伝子を多く残したいのであれば、可能な限り多くの子供を産みまくればいいのだけれど、そうしないのは、産みまくってもそれらを全て育て上げることができないからだ。

 

子育てをする種であれば、子を持ちすぎると、その分時間と労力を割かなければならなくなる。

 

自分や自分のパートナーの時間と労力が限られているという条件の中で、子を持ちすぎると、その分食料を多く調達したり、大きな巣を作り、巣立つために必要な教育を施し、天敵に注意を払うための代価を支払うことができず、最終的には産んだ分のごく一部の子供しか育て上げることができず、育て上げられなかった子供の子育てのために割いた時間と労力は無駄になってしまう。

 

よって子育てをする種の動物は身の丈にあった数の子供、自分がきちんと養育できる数の子供、自分がきちんと管理できる数の子供、自分がきちんと大事にすることができる数の子供を産み、その全てをきちんと巣立つまで育て上げる。

 

そうすることによって、自分の時間と労力を無駄にすることなく最大限の利益(自分の遺伝子の拡散)を図っている。

 

動物は頭ええどすなー。

 

とは言っても、これは動物が意図的にやっているというよりはそれぞれの遺伝子が自然淘汰の過程でいやおうなくそのように進化してきたからなのだそうだ。それにしてもさすがだ。

 

動物は自分の時間と労力が限られているが故に、自分が大事なものの量について制限を加えている。大事なものの量に制限を加えることが大事なものを大事にするための絶対的な条件だからだ。

 

時間と労力を割いて大事にするべき大事なものを自分のキャパを超えて増やしすぎると、そうして増えすぎた大事なものに時間と労力を十分に割くことができず、結局そのどれもを大事にできなくなってしまう。

 

大事なものは大事であるが故に下手に増やさないほうがいいということだ。

 

何かを増やすと別の何か、あるいは全てを大事にできなくなり、全てが中途半端になったり全てを失ったりと望ましくない結果を受ける。動物たちにはそれがわかっているっぽい。

 

人間は脳髄が進化しすぎたのか退化したのかわからないが、自分のもの、大事なものは多ければ多いほどよく、なおかつ自分はその全てを大事にできると自惚れているのかもしれない。

 

そのような自惚れを減らすために、使っていないものは手放し続け、自分がきちんと使える量、きちんと管理できる量、きちんと大事にできる量をその都度脳髄に叩き込んでいく必要がある。

 

整理習慣というのは生物学的にも合理的なわけだ。

おもろいなー。