おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

スマホを触る時間を減らしてみた

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デジタル・ミニマリズムというのは、スマートフォンやPCを始めとするインターネット関連のデジタル機器の使用を必要最小限に抑えようとすることで、惰性的に漫然とスマホを使用する時間をどうにか減らすべく、私はここ数週間デジタル・ミニマリズムを実践しているのだけれど、これがものすごく良い。


デジタル・ミニマリズムはデジタル機器をことごとく否定するものではなく、デジタル機器を使用する際には以下の3点の基準に照らし合わせてそれを使うかどうかを決定する。


1 それは自分にとって大切なことのために役に立つか?


2 それが役に立つとして、それは果たして最善の手段か?


3 それが役に立ち、最善の手段であるとして、それを果たしてどのように使っていくべきか?


自分にとって大切なことが人それぞれ異なる以上、上記の3つの基準によって導かれるデジタル機器の最適な使い方は、人それぞれ異なってくると思う。


以上の3つの基準に照らし合わせると、私にとってのデジタル機器の最適な使い方は以下のとおりとなった。


★ スマホは基本的に持ち歩かない。


★ スマホを確認するのは朝と夜の2回に絞る


★ スマホの通知は必要最小限に抑え、通知音は全てをオフにする。


★ 目覚まし時計としては使用せず、寝床から離れたところに置いておく。


★ SNSはやらない(Twitterはやるかもしれないが、アプリはスマホに搭載しない)。


★ LINE等のメッセージアプリは事務連絡のために利用し、テキストメッセージベースの雑談は行わない。返信も逐一行わず、朝と夜にスマホを確認した時のみ返信を行う。


★ 人とのコミュニケーションは原則として電話や対面での会話をもって行う。


★ Youtubeは基本的に筋トレ時にのみ使用する。明確な目的がある場合にのみ情報収集手段として利用する。


★ 証券アプリや仮想通貨アプリはスマホには搭載せず、資産確認や買い注文の操作はPCを通じて月に1度行う。


★ フリマアプリは本を処分する時にのみ利用する。


これらのルールを守りながら日々を送っていると、様々な変化を実感することができるようになった。


以下にはデジタル・ミニマリズムを始めて起きた自分の変化について書いていく


◆ 読書の時間が増えた


これが私にとっての圧倒的なメリットであるが、上記★のルールにより漫然とスマホを触る惰性的な時間が激減したために、これまでスマホを眺めるために投じていた分の時間がそっくりそのまま自由な時間として激増した。


これまでのようにスマホを漠然と触っている時間も、自由な時間と言えば自由な時間なのだろうけれど、それはあくまでも惰性的な時間の使い方であって、スマホ中毒による病理的な使い方であって、ただただスマホに振り回されているだけで、そのような時間から得られる満足感は微々たるものであった。


読みたい本を読んで過ごす1時間と漠然茫然とSNSを眺めて過ごす1時間では、得られる満足感に雲泥の差がある。


それがわかっていても、スマホとの付き合い方を厳格に制限していない限り、読みたい本のための時間を確保することは難しいのもまた事実だ。


それほどにスマホ・アプリというのは中毒的な設計が施されている。


スマホを触る時間を減らしたおかげで、その分自由な時間が増えた。


これまで漠然とスマホが埋めていた時間がぽっかりと空いてしまったわけだが、私はその時間の多くを好きな読書に充てられるようになった。


以前よりも読書に集中できるようになり、読みたい本も次々に目につくようになった。


スマホを惰性で触っていたせいでいかに読書の楽しみが薄められていたのかを痛感した。


◆ 特段何もせずにぼさっとすることができるようになった


以前は時間を持て余すや否やスマホに手を伸ばし、惰性でネットサーフィンをすることが多かったのだけれど、最近はスマホで惰性的に何かをして時間を潰すくらいなら、いっそ何もしないほうがいいと感じるようになってきた。


家の中で暇になり、本にも飽きたら、コーヒーでも飲みながらただただぼーっする。


駅のホームや電車内で本を読む気になれなければ、特段何もすることなくぼさっとしておく(そもそもスマホを持ち歩いていないのでスマホを触りようがない)。


下手にスマホで何かをするよりも、殊更に何もしないほうが気分が落ち着くことに気がついた。


それに伴い、音楽を聞きながら何かをするということも減った。


以前は家事をやる時、靴を磨く時、食事をする時は基本的にイヤホンを耳に装着し、音楽等の音声を聞いていた。


常に何かを聞いていないとどことなく物足りない感じがして、何らかの音声をイヤホンから聞いていないと、落ち着いて物事に取り組めないような状態であった。


スマホを触る時間を制限したことにより、特段何も音楽等を聞いていなくても家事や食事ができるようになった。


つまり、当たり前の状態に戻ることができた。


むしろ、ずっと何らかの音声を聞いて過ごすより、特に何も聞かずに過ごした方が心地が良いと感じるようになった。


しかしながら、それは全ての音楽や動画を拒否するということではない。


私の場合、筋トレの時は音楽を聞きながらやったほうが捗るし、興味のある動画は視聴する。ただ、惰性でだらだらと聞いたり見たりしないように注意しているだけだ。

 

◆早寝が容易になった。


だらだらする時にスマホがあれば延々とだらだらできる。


例えばご飯を食べ終えて一息ついて皿洗いに移るという一連の流れがあるとすると、スマホを頻繁に触っていた時期は食事(同時に音楽や動画を視聴しながら)を終えると、よし一息つこう、というわけでスマホをいじり始める。


すると、だらだらとスマホを触り続け、こんなことしている場合ではないと、ようやっと皿洗いに移ることになる。


しかし、スマホをあまり触らなくなってからは、食事(同時に音楽や動画を視聴しない)を終えると、よし一息つこうと、特段何もすることなくぼさっとする。


すると、比較的早いタイミングで一区切りつき、次の皿洗いへスムーズに移行できる。


このように、以前は何かと何かの間にスマホを触る時間があり(どうしても触ってしまっていた、触らざるを得なくなっていた)、寝床につく時点がどんどんどんどんと先延ばしにされていたのだけれど、スマホを触る頻度を落としたことによって、あとはもう寝るだけの時点の到来が早くなり、早寝することが極めて容易になった。


早寝をすることができれば早起きも比較的容易になるし、早起きができなかったとしてもその分十二分に睡眠をとれるため、朝の寝起きがものすごく心地よい。


スマホを惰性で触る時間を減らすことで早寝をする機会が増え、睡眠量が増える。


睡眠量が十分の状態の心地よさを知ると、睡眠不足に対してある種の恐怖感を覚え、それがまた早寝のためのモチベーションとなる。


スマホの使用時間を減らす」×「早寝」により、一日を気持ちよく過ごすための盤石な基礎が出来上がると言っても過言ではないと思う。


◆お金について考え過ぎないようになった。


スマホに金融アプリや仮想通貨アプリを入れていた時は、暇があると証券や仮想通貨の評価額をチェックしていた。評価額をチェックする度にささやかながら一喜一憂していた。


資産額について毎日のようにチェックしているとお金のことについて考えてしまう機会が多くなってしまう。


お金について考えること自体は大事なことであると思うが、毎日考える必要はない。


考えたところでお金が急に増えるわけでもないし、お金について考えると私はなんだか疲れてしまう。


お金について考える必要性も理解しつつ、お金について考え過ぎることで疲れてしまわないように、資産状況の確認や仮想通貨の注文は月に一回PCにて行うようにした。


そうすることによってこれまでお金のことについて考えるために割いていたであろう労力が一気に節約され、頭が幾分すっきりしたような気がするようになった。


金融系のアプリを削除したばかりの頃は、ついチェックしようとしていたのであるが、数日経つと、自分が資産運用をしていることさえ忘れてしまっているくらいに資産運用について考えることがなくなり、スマホを手を取る機会が一層減ることとなった。


◎今後のささやかな目標


デジタル・ミニマリズムにより自由な時間が増え、十分な睡眠時間が確保でき、労力に余裕ができはじめている。


そうして確保した時間や集中力や労力は、その全てを読書に注ぎ込むには多過ぎるほどである(それほどまでに私はスマホに多くの時間と労力を費やしていたわけだ)。


読書にも注ぎきれなかったそれらの資源を他のどのような活動に注ぎ込んでいこうかしらん。


ここで余った資源を何らかの活動にうまく振り分けられなければ、結局それらの資源は満足度の低いネットサーフィンやSNSにだらだらと吸い取られてしまうことになる。


よって今後は何かインターネットとは関係のない自分にとって充実感をもたらしてくれる読書や運動以外の活動を試行錯誤しながら見つけていきたい。