おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

ものを捨てる目的

決して”捨てる”ことが目的なのではありません。あくまでも手段なのです。「何のために捨てるのか?」といえば、本当に大事なものを決めるため。そして、大事なものをより大切に扱うためなのです。こうした目的を意識していないと、整理の方向性がブレてしまいます。

佐藤可士和佐藤可士和の超整理術』

 

何かを大事にするためには、それなりに時間と労力がかかるし、きちんと注意を払って見てあげる必要がある。

 

そして現実問題として、私たちの時間と労力は有限で、注意力にも限りがあるため、私たちが大事にできるものの量にも必ず限界がある。

 

つまり、ものが多ければ多いほど一つ一つのものに割ける時間と労力と注意力の量は少なくなくなる。

 

そして、割ける時間と労力と注意力が少ないということはそれらを大事にできないということになる。

 

そして、何も大事にできないということは、幸福から遠ざかるということになる。

(ものを大事にできないということは、人を大事にできないということで、人を大事にできないと、温かで安心感のある信頼関係を築くことができないからな)

 

だから何かを大事にできるように、その何かに然るべき量の時間と労力と注意をきちんと注げるように、大事ではないもの、つまり「使っていないもの」を捨てるということが必要になってくる。

 

使っていないものを捨てていくと、当然普段使っているものが浮かび上がってくる。つまり、今の自分にとって大事なものが浮かび上がってくる。

 

そうして明確になった自分にとって大事なものを、時間と労力を注いできちんと使っていく。壊れていないか、汚れていないか、注意を払ってきちんと見る。

 

みたいな感じのニュアンス的な雰囲気で、使っていないものを捨てることによって、何が自分にとって大事なのかがわかりやすくなり、大事なものをきちんと大事にしやすくなっていく。

 

私たちは市場価値でしかものの価値を測ることができないことが多いが、自分にとってのものの価値というのは、それを自分がどれだけ大事に使っているかで決まる。

 

どんなに市場価値が高くても、実際にそれを大事に使っていなければ、自分にとってのそのものの価値は低い(そして、市場価値があると思っているのでなかなか手放せない)。

 

逆に、市場価値が高くても低くても、それをきちんと大事に使っているのであれば、自分にとってのそのものの価値が高い(そして、もう使い切ったなと思った瞬間にすんなりと手放すことができる)。

 

話が逸れちまった。

 

ものを減らして「おれはこんなにも少ないモノで暮らしているすごい人間なんだ」みたいな感じのニュアンス的な雰囲気の「価値のある人間」みたいな感じのニュアンス的な雰囲気のイッメージを作り上げ、そのイッメージに浸り、誰かを見下して優越感を得るためではなく、単純に大事なものを見極めて、大事なものを大事にするためにものを捨てる、みたいな感じのニュアンス的な雰囲気の軸が大事になってくる。

 

何かを捨てる時の目的を見失うと、捨てること自体が目的になってしまい、自称ミニマリストになってしまい、本来「きちんと使う」ために買うべきものを、「捨てる」ために買う羽目になってしまう、「ものを捨てることができる自分というイッメージを強化・証明・確認する」ためにものを買う羽目になってしまう。

 

目的と手段の確認。手段の目的に対する有意義性と合理性の確認。

指差し呼称で定期的に確認する必要がある。

 

声だして切り替えていこうと思う。

ヨシッ!