おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

もしも5億円があったとしたら、何を買うだろうと考えてみると

もしも5億円があったとしたら、何を買うだろうと考えてみると、以下のとおりとなった。

 

イス

革靴

スーツ

羽毛布団

スマートフォン

カメラ

 

まぁ、実際こんなものだ。

 

どれも5億円もある必要はない。

 

カメラ以外は基本的に毎日使うもので、どれも相当年数使ってきたのでそろそろ買い替えてもいい頃合いだと思っている。

 

実際に遅かれ早かれ今後買っていくことになるだろう。

 

お金を貯め込み、時間を換金するだけの人生というのは虚しい気がするので、日々使うものにはちゃんとお金を使っていったほうが幸福度は高いだろう。

 

(そして、優越感のためにお金を使う、他人を見下すためにお金を使う、というようなことをやるとお金はいくらあっても足りなくなるから注意する必要がある。むしろ、そういう時は、どうして自分はこうも優越感を得ようとしているのかしらん、どうして自分はこんなにも他人を見下そうとしているのかしらん、と考えていったほうが自分の実情を知ることができて有益だ)

 

そして仮に上記のものを買い終えたとすると、それらのものを長く使っていくことになる。

 

となると特に欲しいものがない生活になってしまい、それはそれで寂しいような気もするが、まぁそれはそれでその分だけ余裕ができやすくなり、気楽でいいかもしれない。

 

ものが一通り揃ったら(今もすでに揃ってはいるのだけれど)、あとはそれらを使ってどのようなことをやって日常を過ごしていきたいかが問題になってくる。

 

どのようなことをやれば、良い感じの1日、良い感じの1週間、良い感じの1ヶ月のリズムで日々を過ごすことができるかしらんと考える。

 

寝る

起きる

自炊する

排泄する

洗濯する

掃除する

運動する

風呂に入る

サウナにいく

歯を磨く

散髪に行く

働く

ブログや動画を投稿する

人と交流する

山に登る

本を読む

瞑想をする

 

まぁ、実際こんなものだ。

 

どれも5億円がなければ実現できないものではなく、すでに今でもやってることでもある。

 

もう理想の日常はほとんどできあがっていると言ってもいいかもしれない。

 

5億円があったとしても私の日常の型、日常的にやることはさほど変わらないだろう。

 

(何かをやる時に使う道具の質が変わるくらいかもしれないだろう。例えば普通のティッシュが全て鼻セレブになるみたいな感じのニュアンス的な雰囲気っぽい変化くらいだろう)

 

5億円があったら、週5日労働はやめるかもしれない。

 

全く働かないことはないかもしれないけれど、週5日8時間労働は今の私にとって多過ぎるような気がする。

 

働くこと自体は全然嫌いではないし、むしろ働いている方が私の生活は整いやすいと思うのだけれど、週5日8時間労働にこだわる必要は全くない。

 

今もまったくない。

 

ということは、5億円がない今であっても、働く量は減らしてもいいかもしれない。

 

週4日労働、あわよくば週3日労働の実現に向けて、特定の政党に期待することなく、今の自分にはどのような動き方ができるのか少し考えてみようかしらん。