仏教では「ものを大事にする」=「そのものを丁寧に保管しておく」ということではなく、「きちんと使ってあげる」ということを意味する。
それは体や脳髄も同じで、大事にするためと称してほとんど使うことがなければ、それは粗末に扱っているのと同様で、そうして粗末に扱われた体や脳髄は当然弱り、あっぱらぱーになっていく。
体も頭も適度に使ってあげて大事にしていかないとなー。
みたいな感じのニュアンス的なスタイル風の文脈で、頭の体操感覚で簿記の勉強をはじめ、コツコツと勉強していった結果、3級に受かり、つい先日2級に合格した。
簿記の勉強は脳髄エクササイズには丁度良い。読解力も必要だし、計算力も必要だし、実際に手を動かすことも多い。おまけに実用的だしな。
私は特段学校にも通わず、近所の書店で購入したテキストと問題集で少しずつ勉強をした。休日に近所のマクドナルドやモスバーガーに行き、ジョギング感覚で勉強をした。とても良い時間だった。
それが2級に合格してしまったものだから、次は何の勉強をしようかしらん、と少し悩んでいる。
実際に2級の試験はギリギリで合格したので(合格ラインの70点中70点だった)、まだまだ簿記の勉強をする余地は多分にあるのだけれど、簿記のことはだいたいわかったのでもういい。そのまま簿記1級や税理士や公認会計士の資格を目指す人もいるが、あまり興味がわかない。
あくまでも私の勉強の目的は脳髄をジョギング感覚で使うことによって大事にすることだ。
せっかく勉強習慣が身についたので勉強は続けたい。というより、勉強がない日々というのが何か物足りないし、やっぱり勉強というのは楽しい。何か面白そうなことを少しづつ勉強したい。
次は何を勉強しようかしらん、と思って本屋をぶらついていると、自然とサーバ関係の本を手に取っていた。
今、私の職場ではサーバがどうのこうの、ネットワークがどうのこうのという話がよく出てくる。そしてIT関係のことに精通している先輩が異動し、ITに詳しい人がいなくなってしまった。その状態で、ITに疎い私にIT関連の実際的な業務がスライドしてきている。どうせやらないといけないのなら、勉強しておいたほうが業務をやりやすい。
ということで、今はサーバってそもそも何やねんどす、というところから勉強を始めた。結構面白い。
今は本を読んで勉強しているだけなので、おいおい基本情報技術者試験に向けて鉛筆を実際に動かしながらの勉強にシフトしていこう。
もちろん目的は脳髄を大事にするためであり、試験の合格ではない。
試験合格を目的にしてしまうと、合格か不合格かでそれまで勉強にかけた時間の価値が決まってしまうと思いやすい。合格すればそれまでの勉強時間に意味があり、不合格であれば意味がないように感じやすい。
しかし、脳髄を大事にするための勉強、脳髄を使うための勉強が目的であれば、今日のジョギング気持ちよかったなー、という感覚で、今日の勉強気持ちよかったなー、となり、やる度毎に満足感を味わうことができる。
合格であればラッキーだし、不合格でも脳髄を大事にするという目的は勉強をやる度毎に果たしているのでOKだ。
結果ではなく過程そのものに意味を見出すことによって続けることができる。
そうして続けることそのものが一番大事なのだけれど、その副産物として試験に合格したり、それなりの実力が身についたりする。
もちろん、試験合格や己の実力をもって人を見下し、優越感に浸ってしまうと諸行無常の理と因果の道理によって苦しみがやってくる。
人を見下すために勉強しようとしていないか。それは人を見下すための筋トレと同じように、自分に無理な負荷がかかり、自分を壊してしまう。
脳髄のためのラジオ体操感覚で、ゆっくり気長にやっていこう。