おすかわ平凡日常記

平凡な日常を大事にしていきたい

平凡な日常を目標にする

我々はつい日本電産の森永会長ばりの結果至上主義に陥り、その結果をもって自分や他人を評価する傾向にあるが、この思考は自己否定を生み、苦しみを生む。

 

結果主義は結果主義で否定はしないが、それは私がプレーしたいゲームではない。

 

結果に重きを置くと、結果が出なかった場合、今までの時間と労力とお金は何だったのだろうと徒労感を覚え、自分を責めてしまうことになる。もちろん結果を出せない他人をも責めることになる。

 

また、結果が出たら出たで、次の目標結果を設定し、その結果を出さなければならなくなる。諸行無常の理によって、常に結果が出続けることはないため、いずれは結果が出ず、結果を出せない自分を責めることになる。そして結果を出せない他人をも責めることになる。

 

仏教によると苦しみは自分や他人を責めることから生じるという。

 

以上を鑑み、私は仏教に則って平凡な日常を目標にしようと思う。

 

私にとっての平凡な日常というのは、

 

朝起きて、夜に寝る

掃除をする

洗濯をする

自炊をする

歯を磨く

運動をする

勉強をする

本を読む

文章を書く

瞑想をする

 

という基本的なことを行う日々のことだ。毎日行うものもあれば、曜日を決めて行うものもある。

 

上記のことをただただやり続けること自体を目標とし、それ以外のことは「平凡なことやり続けるという目標」のための手段になる。

 

例えば、勉強すること自体が目標の場合、簿記2級を目指すというのは手段になる。

 

試験に受かれば、ラッキーくらいの感じで、また別の勉強したいことを見つけて勉強を続ける。

 

試験に落ちた場合は、合格することが本来の目標ではないので、自分を責めたり諦めたりすることなく、ただただ勉強を続ければ目標達成である。そうしてただただ勉強が続けられれば試験にもいずれ受かるだろう。

 

そして給料は上記の平凡な日常が送れるだけの額があれば、それで十分とし、結果として仕事はその平凡な日常を送るための手段という位置づけになる。

 

特別な結果を出すことを目標とせずに、平凡なことをやり続けて行くことを目標として過ごせば、日々目標を達成できている自分ということで、自己肯定感も高まるし、平凡な他人のことも認めることができるので自然といい感じの環境が生まれてくるに違いない。

 

まぁ、無理をせずに自分が大事だと思う平凡なことを続けていこう。