おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

モノを大切にするということ

最近またモノを捨てた。

 

本3冊。財布1つ。スニーカー2足。

 

仏教において、モノを大切にするということは、モノを丁重に保管しておくということではなく、毎日(あるいは高頻度で)きちんと使うことを意味するという。

 

モノは使われるために作られた。モノを使わずにいるということは、モノを疎かにするということであり、そのようなモノへの疎かさは他人や自分への疎かさに繋がってくる

 

仏教は自分を大切にする教えであり、モノを大切にするということは自分を大切にするということを意味する。

 

私はあまり多くのモノをもっているほうではないが、それでも長い間手をつけずにただただ保管しているだけのモノがあった。それが本と財布とスニーカーである。

 

本は1度読み、再読しようと思ってそのまま溜まっていたもの。

財布はもう使っていないものの美品であったためにとりあえずとっておいたもの。

スニーカーはいつか履きたいと思ってストックしておいたもの。

 

今使っていないのであれば不要であーる。

よって、本と財布は捨てることにした。

 

捨てたくなければ、きちんと使ってあげること。

よって、古いスニーカーを2足捨て、ストックしていたスニーカーを履き始めることにした。ついでに、大事な場面で履こうと思い、実際に履く機会の少なかった革靴も普段の仕事時に履くことにした。

 

モノは使えば使うほどに愛着が湧く。モノはきちんと使ってこそ自分にとっての価値が上がる。そうして価値の上がったモノを大事に使う生活というのは満足度が高い。満足度が高いとそう簡単に買い替えたり、買い足したりしようと思わなくなる。その分、金や時間や精神的な余裕ができる。

 

そして仏教的観点からすると、その分、自分を見つめ、自分や他人を大事にすることができるようになる。

 

大切にできるモノの量には限りがある。そしてその量は決して多くはない。使ってあげられない分は手放していく。手放したくなければきちんと使ってあげる。

 

モノを手に入れようとする時は、手に入れた後、自分はそのモノを大切にすることができるのか、つまり高頻度でそのモノを使ってあげることができるのかを自問していきたい。

 

今持っているものでも、使っているモノと使っていないモノを定期的に見直していこう。

 

P.S.

過去1年間使っていないもの、今後1年間使う見込みのないものは手放していくのがいいそうです。