先日、トレーニングマットを購入した。
これまで4年ほど使っていたものがへたれてきたので買い替えた。
早速、使ってみたが自室の床と相性がいいのか全然滑らないし、厚みもあるので床付きも感じない。以前のものより使いやすくて大変満足だ。
私は週に3回のペースで自重トレーニングをしている。
Youtubeの動画を組み合わせて1回約15〜20分ほどのメニューを作り、それを猿真似しているだけなのだけれど、やると十分に気持ちが良いし、体の調子もなんだかんだ整ってくる。
私が運動をする目的は、筋肉をムキムキにつけて体をガチムチに肥大化させることではなく、体を使うことによって大事にするためだ。
体は私たちにとって至極身近な毎日使っているものだ。実際に使うものなのだから、末永く使い続けることができるように大事にする必要がある。
体は諸行無常の理によって必ず朽ち果てていくものとはいえ、だからといって粗末に扱っていいということにはならない。
そして体を大事にする方法のひとつがきちんと使ってあげるということで、つまりそれが私にとっての筋トレでありジョギングにあたる。
私の場合、座り仕事が多いため、運動しなければ体の多くの部分を使わない生活になってしまう。使わずに蔑ろにしていると、その機能は衰え、早々に朽ち果てる。
人の話を聞かない人は、耳を実際に使うことがないのでいずれ耳が遠くなる。
物事をよく見ない人は、目を実際に使うことがないのでいずれ目が悪くなる。
現在、ある身体機能が十分に機能していないということは、それまでその身体部分を使わずに蔑ろしてきた結果なのかもしれない。あるいは使い過ぎてケアを怠っていた結果なのかもしれない。
私たちは「大事なものだから使わない」という倒錯した考えを抱きがちだが、仏教からすると「大事なものだからこそ使う」べきなのだ。丁寧に使うことこそ大事にすることであり、大事にすることによって大事なものを長く使うことができるからであーる。
末永く軽快に動かせる体を維持するために、これからも運動は続けていこう。