おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

「高み」を目指してどうするのか


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先日、逢坂冬馬さんの『同志少女よ、敵を撃て』を読んだ。

 

「あなたは、ヴァシリー・ザイツェフのようになって、どうするつもりなの?」

 

「スポーツと違って、私たちの戦いは切りよく終わりはしないし、戦果判定も上限はない。けれどユリアン、不安にならない? 私たちって、そうやって、どこへ向かっているのか、あなたにはわかる?」

「分からないよ」ユリアンはあっさりと答えた。「不安にもなる。けれど、だからもっと敵を倒したい。きっと高みに達すれば、そこで分かるものがあるのではないのかな。丘を越えると地平が見えるように、狙撃兵の高みには、きっと何かの境地がある。旅の終わりまで行って旅の正体が分かるように、そこまでいけば分かるはずだよ。そうでなければ、僕はただ遠くのロウソクを吹き消す技術を学んで、それを競ってるようなものだ」

 

ヴァシリー・ザイツェフというのは狙撃兵ユリアンにとって狙撃を教えた師に当たる。

 

ユリアンはより多くの敵を狙撃し、いわゆる「高み」というものを目指している。

 

一定の「高み」に達すれば何か見たこともないような景色を見ることができるようになるのではないかと期待し、必死に戦果をあげようとしている。

 

これを今日風に言うと以下のようになるのかもしれない。

 

「あなたは、ビル・ゲイツのようになって、どうするつもりなの?」

 

「スポーツと違って、私たちのマネー・ゲームは切りよく終わりはしないし、資産にも上限はない。けれどユリアン、不安にならない? 私たちって、そうやって、どこへ向かっているのか、あなたにはわかる?」

「分からないよ」ユリアンはあっさりと答えた。「不安にもなる。けれど、だからもっと金を稼ぎたい。きっと高みに達すれば、そこで分かるものがあるのではないのかな。丘を越えると地平が見えるように、金持ちの高みには、きっと何かの境地がある。旅の終わりまで行って旅の正体が分かるように、そこまでいけば分かるはずだよ。そうでなければ、僕はただ口座残高の数字を増やす技術を学んで、それを競ってるようなものだ」

 

ビル・ゲイツ」の部分は他の富豪の名前でもいいし、マネー・ゲームの部分はパワー・ゲームでも何でもいい。自分が人を見下そうと頑張っているものであればなんでも構わない。

 

私たちは何らかの形で「高み」を目指している。

そしてその「高み」にいけば何か特別な境地が得られると思っている。

 

そして私たちのいう「高み」というのは優越感と結びついている。

倒した敵の数。銀行残高。地位や権力や名声。自分を「価値のある人間」として定義づけることのできるもの全て。

 

それらを増大させていけば、何か特別なことが起こり、一気に視界が開け、これまで見えなかったものが見えるようになり、自分の世界が一変するのではないかと思っている。

 

だがしかーし、ネバギバの精神で優越感を求めて行ってもどこにもたどり着かない。

 

作中にはネジ作りを極めに極めた人物が出てくる。そして狙撃を極めに極めた人物も出てくる。どちらもその道の達人なのだけれど、その二人の達人に共通しているのは、どんなに極めても何か特別な境地というものはなく、あるのはただただそれに没頭し、文字どおり「別に何も考えていない」「ただそれをやっているだけ」という状態だけだ。

 

丘の上から見える景色。頂点へ上り詰めた者の境地。

 そんなものはなかった。あるとするならば知っていた。

 

没頭して何も考えずにただやっている。それだけ。達人と素人の間に技術の差はあれど、境地自体は両者の間で差異はない。達人も初心者も没頭して何も考えずにただそれをやっていることには変わりはない。

 

何かに没頭して無心になり全てを忘れること、それは非日常だ。

見たくないものを見ないための酒、ギャンブル、ドラッグと大差はない。

全てを忘れるための手段は、ある者にとっては仕事かもしれないし、勉強かもしれないし、運動かもしれないし、趣味かもしれない。そういう非日常も少しは必要かもしれない。

 

しかし、非日常は絶対に続かない。必ず崩れる。

 

ネジ作りの達人には、非日常としてのネジ作りがあり、そして大事にしている家族があった。つまり安定した暖かな日常の土台の上に、非日常が少しあった。

 

そして狙撃の達人には、非日常だけがあった。

 

前線で戦っている間は、非日常は続くが、第一線から退き、ましてや戦争が終われば、その非日常は終わる。そして日常が始まる。狙撃という非日常がなくなってしまうと、彼女には愛すべき人はなく、狙撃ほど無心になれる非日常もない。心の安らぎのない苦しい日々がただただ続くだけだ(結局、彼女は「アルコール依存症と負傷の後遺症にむしばまれ、孤独のうちに生涯を終えた」)。

 

だからこそ彼女は戦後の狙撃兵の生き方として、愛する者を見つけるか趣味(生きがい)を見つけることを勧めた。

 

何かまとまりそうになくなってきたなー。

 

そろそろ買い出しに行かないといけないから一気に雑にまとめるか。

 

優越感を得ようとして「高み」を目指すこと、「非日常」を求めることは切りのない無意味なゲームをやっているようなものだ。

優越感を求めて何かをやることから離れること。身近なものや人を大事にしていくこと。平凡な日常に価値を見出していくこと。結局、そういうのが大事ってこと。

 

実際にできるかどうかは別だけれど、そういう方向が理想だってこと。

 

以上です。