目的に対して現在の手段が適正かどうか点検しなければ過大な手段を用いてしまうことになる。
岩尾俊兵『世界は経営でできている』
筋トレのメニューを少し見直してみた。
私は、心身を大事にするためには体を適度に動かす必要があるため、運動を日常に取り入れている。
つまり、私の目的は「心身を整える」ためであり、そのための手段が「筋トレやジョギング」になる。
その目的は筋肉をモリモリにつけ、肉体美を手に入れ、私はこんなにも素晴らしい肉体の持ち主なんだぽよ、とアッピールして他人を見下すことではない。
優越感のための運動ではなく、心身を整えるための運動である。
(優越感のために何かをやると、その分劣等感を感じやすくなり、その劣等感をどうにかしようと無理して頑張るようになり、その結果、心身を壊してしまうため、優越感のための努力はまじでやめたほうがいい)
ここで、土日のメニューを書き出してみる。
土曜日:HIIT20分、肩トレ5分、三頭筋トレ7分、ダンベル5分×2
日曜日:ディップス10回×3セット、懸垂2種各10回×3、スロージョギング4キロ
以上のメニューはいつから始めたかわからないくらいの定番メニューだったのだけれど、ここ最近、同メニューをこなすうちに、これは私にとって心身を整えるためには過剰なメニューなのではないかしらんと思うようになってきた。
ここまでしなくても心身は十分に整うのではないかしらん、と思うようになってきた。
これが目的に対する手段の肥大化というやつだ。
ということで、メニューを削ぎ落として、組み替えてみる。
土曜日:HIIT20分
日曜日:ダンベル5分×2、スロージョギング4キロ
おそらくこれでも従前と同程度に心身は十分に整うはずだ。
土日の筋トレのメニューが肥大化してしまったのは、当初の「心身を整えるため」という目的を忘れ、その目的が「他人を見下して優越感を得るため」という方向性にシフトしていったからかもしれない、あるいはもっときついメニューをたくさんしなければ心身は整わないと思い込み始めたからかもしれない、あるいは土日ということで時間的に余裕があるためここぞとばかりに詰め込みすぎてしまったのかもしれない。
(私の心は油断するとついアッパラパーな方向へ突き進んでしまうようだ)
いずれにしても、日々の運動習慣において、その目的を再確認し、その目的に対してメニューが必要十分なのかを見直す必要があったわけだ。
実際に見直してみて、メニューがかなりすっきりしたような気がする。
運動だけではなく日常的に何気なく行なっていることの「目的」を再確認し、その目的のための「手段」が本当に有効で合理的なのかどうかを時々点検してみると面白い。
自分の見栄や愚昧な思い込みに気がつくことができる。
声出して切り替えていこうと思う。