おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

最近買い物の満足度が高い理由

最近買ったものを列挙してみる。

 

セーター

ロンT

靴下

ジョギング用の手袋

ジョギング用のネックウォーマー

部屋着用のズボン

プロテイン

うがい薬

リップクリーム

 

古いものを捨てた上で買ったもの、使い切ったので追加で買ったもの、持っていなかったので買ったもの、上記の購入品はいずれかに当てはまるが、私にとってはどれも使う頻度が高いものだ。実際に最低でも週1回、ものによっては毎日使っている。

 

そしてどれも虚栄心のために買ったものではない。つまり、他人を見下して優越感に浸るために買ったものではない

 

その結果どうかというと、買ったもの一つ一つに対する満足度がものすごく高い。

 

使う度毎に、いやーこれまじでいいわー、としみじみと思える。(最近買ったものだけではなく、持ち物全般に対してそう思うことが多くなった)

 

以前は何かを買っても、何か違うなー、と思って使わなくなり後悔しながら手放すこともあったが、最近は買って後悔するということがほとんどなくなった。

 

これはやはり整理を習慣にし始めたからかもしれない。

 

使っていないものは手放し、使っているものだけを手元に残す。

手放したくなければ使ってあげる。使ってあげられなければ手放す。

手元に残ったものは大事に使ってあげる。

 

つまり、整理というのはものを大事に使ってあげられるかどうかを基準にする習慣だ。

 

欲しいから・必要だからという理由で手に入れて、実際は使わずに保管しているだけ、放っているだけ、そうしてものが増え続けて部屋の中があっぱらぱーというパッターンはよくある。

 

「あれが欲しい、これが必要」というのは己の脳髄内で完結する単なる思い込みでしかないので、無限に欲しい・必要と思うことができ、そう思った分だけ手に入れようとしてしまうし、多くの場合、ネバギバの精神で実際に手に入れてしまう。その結果、部屋の中があっぱらぱーになる。

 

だがしかーし、実際に大事に使ってあげられるどうかを基準にすると、一人の人間がものを大事に使うためには時間や労力といった物理的な限界が生じる。そして、その限界は決して多くはない。その結果、ものが無限に増え続けるということがなくなる。使われないまま放って置かれるだけのものがなくなる。

 

ちなみに仏教では、ものを大事にするというのは、ものを使わずに保管しておくことを意味しない。ものは使われるために作られたのだから、きちんと使ってあげてこそ大事にしていることになると説く。本当にその通りだと思うどす。

 

ゴータマ・シッダールタ先輩の教えに基づき整理を習慣にすると、使っていないものが手元を離れ、ものが減っていく。実際に使っているものが手元に残る。ものを新たに手に入れようとする時は、きちんと確実に使ってあげられるかどうかを考えた上で我が家に迎え入れるようになる。

 

すると、身の回りにはなくてはならない大事なものばかりが揃うようになる。その結果、これらのもののおかげで生活できているんだと思えるようになる。より一層一つ一つのものに対しありがたいと思え、大事にしようと思え、愛着が湧いてくる。するともっと大事に使ってあげたくなる。使う度に自分にとってのものの価値が上がっていく。

 

となると、満足度が上がるのは当然じゃんけ。

 

人を見下すための消費をやめる。

整理を習慣にする。

 

どれも仏教に教えてもらったことだ。ゴータマ・シッダールタ先輩にまじで感謝。