『サイコロジー・オブ・マネー』という本を再読したので、以下に同書から学んだことを書き留めておく。
① 見栄を張らない・足るを知る。
② 自分のゲームと他人のゲームを区別する。
③ 貯金とインデックス投資でシンプルに資産形成をする。
④ 自分の願望と客観的な事実を区別する。
⑤ 安心して眠れるかどうかを判断基準にする。
① 見栄を張らない・足るを知る。
これは古今東西の賢者が口を揃えていうことであるが、無論、同書でも開口一番にこのことが勧められている。
哲学者のパスカル曰く、我々の一挙手一投足には必ず虚栄心が混ざっている。よって見栄から完全に自由になることはないかもしれないが、人を不快にしたり、最終的に自分に実害をもたらしたり、そのようなことがない程度には見栄と付き合うことができると思う。
また、足るを知るについても、我々は煩悩具足の凡夫であるため、完全に足るを知ることはできないかもしれないが、強欲や貪欲とは距離を置くことができると思う。
私も、己の見栄や強欲に振り回されて、今となっては馬鹿馬鹿しいとしか思えないようなお金の使い方をしてしまったことが何度となくある。
最近人に羨ましがられたい・すごいと思われたいという目的のために買ったものは何かあるかしらん、と考えてみる。
特にないな。
もっともっとこれが欲しいと思うものはあるかしらん、と考えてみる。
余暇くらいだろうか。生活水準もあげるつもりもないしな。
これは足るを知るを実践すれば自ずと生活水準が下がり、その分労働時間が減り、その分自由な時間ができるから、やっぱり足るを知るというのは大切なんだよな。
時折でもいいから、自分は今見栄を張り過ぎていないか、強欲になっていないかを確認していきたい。
② 自分のゲームと他人のゲームを区別する。
人間凡夫、十人十色千差万別ひとそれぞれ。
やりたいことや望んでいることや理想や幸せの形はみんな違う。
これをまずは大前提におかなければならない。
そして他人にとって必要なこと・合理的なことと、自分にとって必要なこと・合理的なことは異なるのは当然である。
これは人の意見を全く聞かないということを意味しない。
他人の価値観に振り回されていないか自問自答せよということを意味する。
同書では、投資において長期投資家と短期投資家ではそもそも価値観が全く違う。それなのに長期投資家が短期投資家の動きに振り回されて損してしまう事例が紹介されている。
これは投資に限ったことではなく、日々の生活全般に言える。
グルメ・ブロガーであれば毎日目新しいレストランの食事に金をかけることは価値のある事かもしれないが、グルメブロガーでもない愚鈍な舌をもつ私のような凡夫は、米と味噌汁で楽勝である。
それなのに、凡夫がグルメブロガーのゲームに巻き込まれて、日々美食三昧に耽溺すると金銭的に破滅するだけである。
特に、見栄を張り合うだけのマウント合戦はきりがないので参加さえもしないほうがいい。
分野を問わず、自分が行っているゲームを紙に書き出してみるといい、と著者は勧めている。
私も定期的に自分が何のために〇〇をしているのかを正直に書き出すということを実践していきたい(ブログはそのための有効な手段になってくれている)。
③ 貯金とインデックス投資でシンプルに資産形成をする。
特段の目的のない貯金、これを著者は勧めていた。
これはいわゆる生活防衛資金である。
アメリカ人は、貯金というものは何か明確な目的のためにするものだ、という思いが強いのだろうか。
著者は全資産から家を除いた20%ほどの現金を所有しているらしく、それは平均よりもかなり多めであるという。
日本人は現金をもっと多い割合でもっていると思うが、まぁ、そんことはどうでもいい。
要するに、生活防衛資金があれば金銭的にも精神的にも余裕ができるからまじでいいよと言っているわけだ。
そして個別株を逐一チェックして株価の値上がり値下がりに一喜一憂するよりも、インデックス投資を淡々と行い、放っておけば、長期的にはまぁ大丈夫だろうと。
私も貯金とインデックス投資しか行っていない。
あ、そう言えば、イーサリアムを少し持っているが、完全に放置している。
投資は努力したからといってその分報酬が大きくなるわけではない。
もちろん、ある程度の勉強は必要であるが、それも本一冊程度で十分だ(本が苦手な人はYoutubeに有益な情報が溢れているのでそれを何本か見ればいい)。
貯金も自動化し積立投資も自動化し、後は放置。
浮いた時間は自分の好きなことに充てたほうがリターンは遥かにでかい。
④ 自分の願望と客観的な事実を区別する。
我々人間凡夫は、自分がこうであって欲しいと望んでいることを真実であると思い込む傾向がある。
たとえば、金運に恵まれたいと望んでいる人が、この石を持っていれば金運になれると信じてしまうようなものだ。
自分の願望(金持ちになりたい)と客観的な事実(その石がどう巡り巡って金銭をもたらすのかという多くの人が納得できるような理路整然とした説明)に大きな隔たりがあるにも関わらず、それらが個人の脳髄の中で結びついている状態。
これが我々凡夫の愚鈍さの一部である。
我々は愚鈍であるにも関わらず、その愚鈍さを認めずになんとか石の効力の説明を試みる。
限られた知識や軽薄な経験をもとに独善的に世界を理解しようとする。
自分の愚かさを素直に認め、謙虚であることが大切だ。
⑤ 安心して眠れるかどうかを判断基準にする。
強欲に振り回されて、大勝負に出ようとしてしまうことが我々人間凡夫にはあるが、その時には、その勝負に出て、自分は何を手に入れようとしているのかを考える必要がある(強欲に振り回されているので、考えられないのが普通であるが)。
その勝負に勝った場合、得られるものは本当に必要なものなのか、そして、負けた場合、すでに手にしている大切なもの失うことはないだろうか、について考えなければならない。
同書では、不要な金を手に入れるために、大切な資産を危険に晒してしまった人物が紹介されている。
勝負に出る時に、これをして安心して眠れるかどうかを自問自答するといいかもしれない。
朝に清々しく目を覚ますことができること。
日中にわくわくと活動することができること。
夜に安心して眠ることができること。
これが「富」だ。
この「富」のためにならないようなことを自分はやってしまっていないかどうか、これからも本や尊敬する人を通じて反省し続ける必要がある。
良い本を読むことができた。
ありがたいことである。