おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

ホテル暮らしの日常

東京の部屋を明け渡し、赴任先の大分へ向かっている。

 

部屋の荷物が到着するまで数日ホテル暮らしになる。

 

ホテル暮らしになっても基本的に日々のルーティンは変わらない。

 

起きたら白湯を飲んで、散歩をして、体を軽く動かして(ストレッチとスクワット)、冷水シャワーを浴びて、瞑想をして、書く。

 

特に欲しいものや行きたい場所もないので、日中はぶらぶらと散歩をするか、コーヒーを飲みながら本を読む。

 

夜は部屋で筋トレ、瞑想、読書。

誰かと一緒でない限り酒は飲まない。

 

自炊ができないと外食になり、外食になると栄養のバランスが取りにくい。

 

外食時に食べすぎないように気をつけ、またスーパーで果物を買って意識的に摂取するようにしている。

 

心身を整えてくれる習慣というのは凄まじく簡単で平凡なものなので、特別な環境や設備を必要としない。金もかからない。

 

どこにいても行うことができ、行うとほぼ確実に整う。

 

一度身につけると一生自分を整え続けてくれる。

 

今のホテル暮らしでも自然と維持している「整える習慣」はこれからも一生続けていくのだろう。

 

住む場所や仕事や付き合う人は諸行無常の理によって変わっていくが、自分にとって自分を整えるために必要な習慣というのは変わらず(心身を整えてくれる習慣と心身を乱す習慣というのはだいたい私たちに共通して決まっている)、自分を大事にするために効果的な習慣は一生続けていくことになるのだということを実感する。

 

何が自分の心身と整えてくれ、何が自分の心身を乱すのかということを知っていること、そして自分の心身を整えてくれる習慣が実際に身についていること(繰り返すがこの手の習慣は凄まじく平凡で簡単で金がかからない)、諸行無常の理が支配するこの世において、これほど心強いことはない。

 

結局、どういう習慣を身につけているかなのだろう。

 

そして、その習慣の奥底に「他人と差異を生み出し、その差異をもってして優越感を得て他人を見下すため」という自称意識高い系の人がしばしば陥りがちな思考パッターンではなく、単純に「自分は自分にとって大事であり、大事な自分を大事にするため」という思考パッターン、つまり実際の行動の奥底に温かい感じの思考習慣があるかどうかなのだろう。

 

同じ筋トレでも自分を整えるための筋トレと他人を見下すための筋トレは違う。

同じ瞑想でも自分を整えるための筋トレと他人を見下すための瞑想は違う。

見た目は同じになるかもしれないが精神状態が根本的に異なる。

 

声出して切り替えていこうと思う。