人間は、「脳内にイメージしたものを実現しようとする」生き物だ。「肯定後と否定語を区別できない」という言い方をされることもある。
ポジティブフィードバックであれ、ギャップフィードバックであれ、基本的には指摘すればするほど、そのことに意識が向くことで、その事象の発生頻度が上がっていく。これがコミュニケーションの基本原則だ。
櫻井将『まず、ちゃんと聴く。コミュニケーションの質が変わる「聴く」と「伝える」の黄金比』
人からこういうところは良いところ、と言われたらそのことに意識が向いて、その良いことの発生頻度が上がる。
人からこういうところが悪いところ、と言われたらそのことに意識が向いて、その悪いことの発生頻度が上がる。
今、自分の目の前の世界において実現していることは、日頃から自分が脳内でイッメージしているものに近いということになる。
今の自分に見える世界をよくよく見つめると、自分が普段どのようなことをイッメージし、どのようなイッメージに向けて日々を送っているのかということがわかるのかもしれない。
他人の悪を指摘することが多いということは、自分の悪を指摘することが多いということとで(他人を通して見えるものは自分にもある)、そこには悪を指摘する自分と悪を指摘される自分という両者がいて、指摘して指摘される分だけ「悪」をイッメージすることが当然多くなり、その分だけ「悪」の発生頻度が上がっていくということになる。
他人や自分の悪を指摘することが多いということは、他人や自分の悪ばかりが目につくことが多いということで、現実は悪ばかりではないにも関わらず、自分にはほとんど「悪」しか見えないのであれば自分は「悪」ばかりが見える世界にいるということになる。
悪ばかりが見える世界で悪を指摘し責め続ける世界では、自分が自分や他人に対して悪のフィードバックしか行わず、その結果、自分や他人は悪をイッメージしながら過ごすことになり、その結果、望ましくないことが実際に起こりやすくなってくる。
人は「肯定語と否定語を区別できない」のであれば、自分が普段発している言葉は自分や相手にどのようなイッメージを想起させるのかということに注意を払う必要があるということなのだろう。
お前は仕事ができないやつでダメな人間、だから仕事ができるようにならないといけない。
お前は貧乏でダメな人間、だから金持ちにならないといけない。
お前はブスでダメな人間、だから美人にならないとけない。
こういう人間はダメだからこうならないといけない。
このようなフィードバックは、悪の否定から始まる。悪を想起することから始まる。
だから表面上は高尚な雰囲気のニュアンス的な目標が掲げられていても、その根本では悪がイッメージされいて、その結果どんなにネバギバの精神で努力をしても悪を実現させてしまう。表面上はうまく行っているっぽいのに、苦しみをもたらしてしまう。
おそらく最強のイッメージは「人を大事にしている」イッメージだろう。
(「人から大事にされている」イッメージではない)
そうすると自分や他人を大事にするための努力をすることになる。
そして自分や他人を大事にしていくと自分の心身が整い人間関係が良好なものになってくる。
(逆に、自分の心身が荒廃し人間関係が劣悪なものになるのであれば、人を大事にしているつもりでもそれは実際は大事にできていないということになる)
今の自分の現実は何をイッメージしながら過ごしてきた結果なのか。
その結果の中で、今の自分の心身や人間関係の状態はどうか。
声出して切り替えていこうと思う。