おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

好き嫌いの理由

我々は我々自身の好き嫌いに関心を払っていません。「これ! 」と決めたことは「自分が自分で決めたのだから」と言って、そこで思考停止している場合も多い。物的であれ、心的であれ、その理由について徹底的に考えてみるのは、無駄になるはずもありません。

宮野公樹『問いの立て方』

 

私たちは「自分はこういう人間だ」というセルフイッメージを自ら作り出し、そのイッメージを自分だと思っている。

 

自分は正しい人間だ

自分は清らかな人間だ

自分は善良な人間だ

自分は正常な人間だ

自分はちゃんとした人間だ

自分は強い人間だ

自分は優秀な人間だ

自分はおしゃれな人間だ

自分はイケてる人間だ

 

要するに「自分は価値のある人間だ」と何らかの形で思い込んでいる。

 

根本的に私たちは「大事にされたい」という愛欲(肉欲ではない。性欲のない赤ちゃんも性欲が朽ち果てた大人にも愛欲はある)というものを抱えていて、こういう人間は大事にされる、こういう人間は見捨てられるという思い込みを持っている。

 

それ故に、人から見捨てられないよう、人から大事にしてもらえるように、人から大事にしてもらえるようなイッメージを作り出し、自分はそのイッメージどおりの人間だと思い、自分はそのイッメージどおりの人間なんだということを証明しようとする。

 

よって、何かが好きということは、その何かは自分のセルフイッメージを強化し、自分がセルフイッメージどおりの人間であることを証明するのに役立つものということであり、何かが嫌いということは、その何かは自分のセルフイッメージを崩し、自分がセルフイッメージどおりの人間ではないということを見せつけてくるものということになる。

 

よって、なぜそれが好きなのか嫌いなのかというのは、自分が証明したいセルフイッメージに囚われていて執着しているからだと言える。

 

セルフイッメージに適うものを好きになり、かき集めようとする。

セルフイッメージに叶わないものは嫌いになり、遠ざけようとする。

 

自分は正しい人間だというセルフイッメージに執着していると、常に自分は正しいということを証明せずにはおれず、自分の間違いを認めようとしない。そして、正しさを象徴するものを好きになりかき集め、間違いを象徴するものを嫌いになり遠ざけようとする。

 

自分は善良な人間だというセルフイッメージに執着していると、常に自分は善良だということを証明せずにはおれず、自分の邪悪な側面を認められない。善良さを象徴するものを好きになりかき集め、邪悪さを象徴するものを嫌いになり遠ざけようとする。

 

自分は強い人間だというセルフイッメージに執着していると、常に自分は強いということを証明せずにはおれず、自分の弱い側面を認められない。強さを象徴するものを好きになりかき集め、弱さを象徴するものを嫌いになり遠ざけようとする。

 

自分は価値ある人間だというセルフイッメージに執着している、常に自分は価値があるということを証明せずにはおれず、自分の価値のない側面を認められない。価値があることを象徴するものを好きになりかき集め、価値のなさを象徴するものを嫌いになり遠ざけようとする。

 

大事にされたいという愛欲故のセルフイッメージ。

そのセルフイッメージへの執着故の好き嫌い。

 

人から大事にされたいという根本的な欲求があり、人から大事にされるような価値のある人間像を作り出し、自分はそういう人から大事にされるに値する価値のある人間なんだということを証明しようとする。

 

その証明に役立つものを好きになりかき集めようとし、その証明を妨げるものを嫌いになり遠ざけようとする。

 

自分が今好きなもの好きな人、嫌いなもの嫌いな人というのは自分のどのようなセルフイッメージを証明することに役立っているのかしらん。

 

好き嫌いというものが自分が執着しているセルフイッメージにより生じているとしたら、好き嫌いがあまりないということはセルフイッメージへの執着が少ないということになる。

 

セルフイッメージへの執着が少ないということは、きれいな自分像ではなく、実際の自分の側面を良いところも悪いところもきれいなところも醜いところも受け入れている度合いが強いということで、つまりそれは自分に対して寛容であるということになる(自分の悪の側面を正当化しているわけではない)。

 

自分に不寛容な人はその分だけセルフイッメージへの執着が凄まじく、好き嫌いが激しく、その分だけ何かをかき集めようとすること(貪欲)や何かを遠ざけようとすること(怒り)の度合いが強い。外見は整っているかもしれないが内面は乱れまくっている。

 

自分に寛容な人はその分だけセルフイッメージへの執着が希薄で、好き嫌いが少なく、その分だけ何かを貪欲にかき集めようとしたり、怒りをもってして何かを遠ざけようとする度合いが低い。外見は地味で平凡かもしれないが内面は整っている。

 

自分が今好きなもの好きな人、嫌いなもの嫌いな人について、なぜ好きなのかなぜ嫌いなのかを自分が執着しているであろうセルフイッメージ軸で考えていくと自分のことがよく見えてくるかもしれない。

 

声出して切り替えていこうと思う。