おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

投資の心得:私はお金ではない

私は定額預金感覚でインデックス投資をやっているのだけれど、先日月に一度の資産チェックをしたところ、トランプ先輩がハッスルしているみたいで先月よりだいぶ資産が減っていた。

 

それでも普通に預金をしているよりは遥かにプラスになっているため、どの期間で見るのかで感じ方は色々と変わってくるだろうと思う。

 

私はデイトレーダーのように画面にかじりつき、自分の資産が今どう変動しているのかということを逐一確認することはないのだけれど、月に一度確認するだけでも、お金の価値というのは変動するものなんだなーという至極当たり前のことをしみじみと実感する。

 

お金の価値というのはまじで諸行無常

トランプ先輩の一挙手一投足ごときでその価値が大きく波打つ。

 

ここで注意しなければならないことは、お金と自分というのは別物ということだろう。

 

お金には確かに価値があるが、お金の価値と自分の価値は別ということを理解しておかないとお金に執着し苦しむことなる。

 

「執着する」ということは、自分と自分ではないものの区別がわからずに自分ではないものと自分とを同一化し、自分ではないものの価値で自分の価値が決まるとという思い込むということだ。

 

お金と自分は別物であるということが理解できず、お金の価値と自分の価値を同一化してしまい、持っているお金の価値で自分の価値が決まると思ってしまう。

 

この執着により、私たちはひたすらにお金をかき集めようとし、お金の価値で自分を価値のある人間として定義しようとする。

 

そしてそのお金の価値というのは変動する。

 

そして執着とお金の変動性がかけ合わさり以下のようになる。

 

100万円増えたら自分の価値も100万円増え、その分だけ自分は価値のある人間になれたと勘違いし、うれぴー、となる。

 

100万円減ったら自分の価値も100万円減り、その分だけ自分は価値のない人間になったと勘違いし、かなぴー、となる。

 

お金と自分は別物であるということ、お金の価値と自分の価値は別物であるということ、このことを理解していないと、お金の変動に合わせて自分の価値も変動することになり、お金によって自分には価値があると感じられる間は安心し、価値がないと感じてしまうと不安になる。

 

つまり自分と自分ではないものの区別がしっかりできていないと、そのものに自分の価値を依存してしまうことになる。

 

自分ではないもののの定義は死ぬ時に自分として持っていけないもの全般を指す。

 

死んだ時に持っていけないもの=自分ではないもの。

 

生きていく上で必要で大事なものはたくさんあるのだけれど、その全てが実は自分ではないものであり、自分ではない他人であるという厳然たる事実。

 

自分ではないものはそれはそれで価値があり、それらを大事にすること自体は素晴らしいことだと思うのだけれど、自分ではないものに執着し、自分の価値=自分の大事さを規定しようとする、つまり依存するというのはまた違う。

 

「これは自分ではない」とわかった上で大事にする。それは自分ではないのだから、諸行無常の理によっていずれ必ず変化して自分の手元を離れていく。しかし、執着していない、つまり、そのものと自分を同一化していない、そのものの価値と自分の価値を連動させていない、そのものの有無や価値によって自分の価値が決まると思っていないために、自分の価値は変わらず、あれがない自分は価値がなく、こんな価値のない自分はダメなんだと自己否定に陥ることがない。

 

一方で依存しているということは、執着しているということで、つまりそのものと自分を同一化している、そのものの価値と自分の価値を連動させている、そのものの有無や価値によって自分の価値が決まると思い込んでいるために、そのものを必死にかき集めようとし、握り締めようとする、支配しようとする。失いそうになると不安と恐怖に駆られ、感情的に乱れてしまう(この状態を「大事にしている」と勘違いしてしまう)。そして諸行無常の理によって失ったり価値がなくなったりすると、あれがない自分は価値がなく、こんな価値のない自分はダメなんだと自己否定に陥ってしまう。

 

投資をするとお金の価値の変化が如実にわかり、自分がお金にどの程度執着し、お金と自分自身をどの程度同一化しているのかということがわかりやすい。

 

そしてこれは逆説的だが、インデックス投資の場合、あまり執着せずに放っておけるほうが長期的にはうまくいく傾向が強い。

 

お金だけではなく何かや誰かに依存し、何かや誰かで自分の価値を規定しようとすると、そのものを支配しようとしてしまうことになり、その結果、長期的にはそのものやその人との関係がうまく行かなくなるということなのかもしれない。

 

声出して切り替えていこうと思う。