おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

2種類の悪

「思ったことに正しいとか間違っているとかはないんですよ。他の人が顔をしかめるような価値観や、変なことでもいいんですよ。だってそれが菜々子さんの、やっと顔を出してくれた本当の思いかもしれないですから」

花田菜々子『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』

 

私たちの心というのは実に多様な側面から成り立っていて、そこには自分の理性的な基準からして望ましい側面もあれば、望ましくない側面もある。そしてどちらとも言えないような側面も多分に含まれている。

 

実際には多様で豊かな心の側面に、私たちは「この側面は正しい」「この側面は間違い」「この側面はきれい」「この側面は醜い」と理性的に色付けをして、「このような側面はあってはいけない」「このような側面は自分の側面ではない」として実際には厳然と自分の中に存在している側面(特に理性的に望ましくないと判断している側面)の存在を認めようとしない。

 

これは言い換えると自分の一部分しか許容していないということで、その他の部分は見捨てている、無視している、否定している、馬鹿にしている、責めている、見下している、攻撃している、ということになる。

 

たとえば、誰かがミスをし、自分の仕事が滞ったとする。

 

すると自分の中に、なめとったらあかへんど、価値のないあんな奴は消え去ってしまえばいいざます、という冷淡な思いがどうしようもなく沸き起こってくる。

(善人ぶろうとしてそのような思いを起こすまいとしても、「悪=自分にとって都合の悪い存在」は苦しめることが正しいことなんだという思考パッターンにはまり込んでいる間は、どうしようもなく冷淡な思いが湧き起こってくる)

 

この時に、自分には「ミスをする人はいなくなればいいと思ってしまう冷酷な側面がある」ということ、自分には「自分にとって都合の悪い人に対してヒトラーポル・ポト級の恐ろしい思いを起こしてしまう側面がある」ということ、つまり自分には「悪の側面がある」ということを事実として受け入れることができればいいのだけれど、私たちは自分のことを「純度100%の善良で清廉潔白で正しい人間」と思いたいし、実際にそう信じ思い込んでいるために、自分の悪を認めることを拒み、むしろ人を悪人とみなし、「悪は苦しめ、否定しなければならない、よって私のこの思いや感情は善なのだ、正義なのだ」として、人に対して起こした恐ろしい思い、つまり自分の悪の側面を正当化し、あくまでも自分は「純度100%の善良で清廉潔白で正しい人間」という立場に立とうする。

 

この潔癖さが、実際の自分の善の部分(自分なりの基準で望ましいとみなしている部分)しか認めず、その他の自分の悪の部分(自分なりの基準で望ましくないとみなしている部分)を見捨て、無視し、否定し、馬鹿にし、責め立て、見下し、攻撃するという行為を意識的にも無意識的にも生じさせる。

 

そしてこのように自分を清濁含め、善悪含め、優劣含め、正邪含め、美醜含め、全体的に受け入れようとせず、いわば自分の半分を無視し、否定し続けているために、それは当然自分自身に苦しみを生じさせるし、周囲の人間(彼らにも自分と同じ様に必ず悪の側面がある)の悪を責め立て、攻撃し、その存在を否定するため、人間関係もうまくいかないず(みんな自分のことを善人だと思い込んでいる中で、人の悪を指摘し責め立てるようなことをすると、自分こそが善人だとアッピールし証明したい自分と他人とで口論や喧嘩や競争が必ず発生し、ギスギスする)、自分の内側も苦しいし、外側も苦しい状況が生じてしまう。

 

自分の中に悪(繰り返すが、この悪は自分の基準で望ましくないと判断しているものだ)があるのは仕方がない。

 

どうにかしようとしてもどうにもならないこともある(このことは自分が本気で自分の中の悪をどうにかしようとしなければわからない)。

 

そして自分の悪の側面がどうにもならなかったとしても、だからと言って、それが善ということにもならない。正当化することもできない。悪は悪のままだ。

 

となると、「自分は悪の側面がある人間である」ということを受け入れるしかない、自分は「純度100%の善良で清廉潔白で正しい人間」ではないということを受け入れるしかない。

 

そうしなければ苦しみの無限ループにはまり続けることになる。

 

絶対的な悪というものは、自分の中の悪を認めずそれを無視し、攻撃し、否定することだ。

 

善良なもの、正しいものしか受け入れることができないため、自分に都合の悪いものは正当化しなければ受け入れられないこと、悪を悪として認めて、悪を受容できないことだ。

 

それは自分を苦しみの無限ループに陥れるという意味で「絶対的に悪」ということになる。

 

自分や世間が勝手にみなしている悪というのは実は悪ではなく、自分なりの思い込み、特定の集団なりの思い込みでしかない。

 

思い込みの悪と絶対的な悪、悪にはこの2種類があるということになる。

 

1つ目はこれは悪だと勝手に決めつけること(思い込みの悪)、2つ目は思い込みの悪を無視し、攻撃し、その存在を否定し、消し去ろうとすること(絶対的な悪)

 

なるほど。

 

声出して切り替えていこう。