おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

自分を雑に扱っていないか

仏教は自分を大事にする教えだ。

自分を大事にするということは自分に価値を置くということを意味する。

 

では、自分で自分を大事にしているかどうかを判断するにはどうすればいいのか?

自分で自分に価値を置いているかどうかを判断するにはどうすればいいのか?

 

それは自分が身近なものをどう扱っているかを観察すればいい。

 

例えば毎日使っている茶碗。

 

その茶碗を雑に扱っているのであれば、その茶碗に価値を見出していないからだ。

なぜその茶碗に価値を見出していないのかというと、その茶碗を使う人、つまり自分自身に価値を見出していないからだ。

 

自分に価値を置いていないから、自分が普段使う茶碗を粗末にすることができる。

価値の低い自分には雑に扱ってもいい価値のない茶碗で十分じゃんけ、まじでウケるんだけどー、と思っているっちゅうわけ。

 

仮にその茶碗が大事な人(例えば、恩人、尊敬する人)のものであれば、自然と丁重かつ大切に扱うだろう。

 

同様に、自分に価値をおけば、その茶碗は大事な自分が使う大事な茶碗になる。

 

大事な自分のために、その茶碗を丁寧に扱うようになる。その理由は自分が大事であるからに他ならない。

 

自分に価値を置けば、自分が普段使うもの、普段過ごす部屋にも相応の価値があるということになる。そんな価値のあるものや部屋を雑に扱うことはできなくなってくる。

 

大事な自分が普段使うものだから大事に使っていこう、大事な自分が普段過ごす部屋だから掃除をしよう、という気持ちに自然になっていくものだ。

 

ものを丁寧に扱ったり、部屋をきれいにするのは、人から善良で健全な人間と見てもらうため、きれいな外面を取り繕うためではなく、大事な自分が普段から気持ちよく使えるようにするためだ。

 

言うまでもなく、自分にとって自分ほど大事でかけがえのないものはない。

果たして自分は自分のことを大事にしているかしらん。

大事な自分は実際に使っていないものだらけの部屋、すなわちゴミだらけの部屋で生活していないかしらん。

大事な自分が普段使っているものは、安物の粗悪品で固められていないかしらん。

そして、大事な自分を大事にするために普段使っているものを大事にしているかしらん。

 

ゴータマ先輩にそう問いかけられ、自分が普段使っているもの、過ごしている部屋を見てみると、いかに自分が自分を大事にしていないかがわかる。

 

自分のことを価値のない人間と見なし、自分を粗末に扱っているのは、他人ではなく、まぎれもなく自分自身なのだ。

 

まいったね。

 

自分が大事だから使っていないもの(ゴミ)は手放す、普段使っているものは少し良いものにする、そしてそれらを大事に使う。

自分が大事だから掃除をする。

自分が大事だから、体を大事にするためにジャンクフードは避けて、自炊をする、水を十分飲む、適度に体を動かす、適度に休息をとる。

自分が大事だから、頭を大事にするために働く、勉強をする。

自分が大事だから、身近な人を大事にする。

 

自分を粗末にしているのは他人ではなく紛れもない自分自身であることに気づき、それと同時に自分を大事にできるのもまた紛れもない自分自身であることに気づく。

そして、自分を大事にするために身近なものや人を大事にしていく。

 

自分を大事にする習慣、身近なものや身近な人を自然と大事にできる能力、これらを身につけられるよう今後も心がけていこう。