おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

高収入生活よりもまずは経済的な安定を

私たちは芥川龍之介並の漠然とした不安から、盲目的に高収入生活を目指してしまう。

 

しかーし、高収入生活はそれはそれでいいとしても、やはり順序としては経済的に安定した暮らしを実現できるようになる必要がある。

 

経済的安定というのは、支出が収入を下回っている状態を指す。さらに理想的なのは、諸行無常の理によって、億万長者から無一文のホームレスになったとしても、また無一文のホームレスから世界一の富豪になったとしても、月々の生活費が一定である状態だろう。

 

まぁ、億万長者とホームレスというのは極端な振れ幅だけれど、例えばフリーター時代であろうと、大企業の役員時代であろうと、とにかく己を取り巻く状況がぐわんぐわんに変わったとしても生活費がほとんど変わらないというのが理想だ。

 

私は大学を卒業して、楽勝でニートになり、時にはフリーターになり、今では会社員なのだけれど、会社員である今のほうが収入は遥かにある(安月給ではある☆)。しかしながら、生活水準はあまり変わらない。

 

仕事をして、家事をして、運動をして、読書をして、勉強をして、仏教を聞いて、時々登山やサウナに行く。友人知人とたまに飲む。

 

この生活にさほどお金はかからない。

 

もちろん大金が舞い込んできたり、収入が上がったりしたら、それはそれで嬉しいけれど、月々の支出はほとんど変わらないだろう。

 

多くの人が高収入を目指すのは、高価なモノを手に入れて他人を見下し、優越感に浸りたいからだと思うが、仏教はそんなことをやっても幸福にはなれませんよと教えてくれる。

 

優越感に支えられた幸福というのは諸行無常の理によって崩れてしまうし、他人に見下されないように見下されないようにという強迫観念に急き立てられて時間を過ごすことになるからな。そして何よりも、人を見下すために生きている人は自分が見下される世界を作ってしまう。

 

特段の必要もないのに高収入を目指す努力よりも、まずは低収入であっても自然に月々を黒字で過ごせる自分一定の生活水準の満足できる自分を作ることが先決だろう。

 

そのために一番有効なのは、使っているモノと使っていないモノを分け、使っていないモノは捨てていくこと、つまり整理だ。

 

整理をすることによって、確実にモノが減り、使っているモノが残る。そして残ったモノの量は決して多くはない。それが自分の適正なサイズということになる。そして自分に必要なモノはもうすでに揃っているということに気がつくことができる。そうすると新たにモノを買うことがなくなってくる。するとモノにお金が消費されない分、余裕ができてくる。

 

身の回りに使っていないものはないかと見回してみて、使っていないものがあったら、「南無阿弥!」と絶叫して捨てていこう。