おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

人やモノは大事にするために減らす

仏教では身の回りの人やモノを大事にしていくことの大切さが説かれている。

 

では、身の回りの人やモノを大事にするというのはどういう意味なのかと言うと、大事な人やモノに時間をかける、大事な人やモノをよく見る、人であればその人の都合を優先する、このような意味らしい。

 

ということは、人やモノを大事にするためには、付き合う人の数、所有するモノの数は自ずと少なくせざるを得なくなる。

 

大勢の人と付き合っていると、時間がいくらあっても足りないし、一人ひとりの都合を優先していたら疲労困憊してしまう。何か異変があった時に気づいてあげることができなくなってしまい、対処が遅れてしまう。

 

多くのモノを持っていると、それらのモノを十分に使ってあげることができない。モノというのは使われるために作られているのだから、きちんと使ってあげるというのが、作ってくれた人や売ってくれた人へ敬意を払うということになる。また、モノが多いと、傷や故障に気が付きにくく、ケアや修理も後手に回ってしまい、すぐにダメになってしまいやすくなる。

 

付き合う人や所有物の数を減らしても、決定的に困ることはない。

むしろ、「大切かもしれない」「必要かもしれない」という漠然とした人間関係やモノに時間とお金が流れ込んでいかない分、時間的にも経済的にも余裕ができる。

 

その余裕を本当に大事な人間関係やモノに当てればいい。

 

そして、本当に大事な人間関係や日々きちんと使っているモノの維持費というのは、新しい人間関係を作る際のコストや希薄な人間関係を維持するためのコスト、さほど使う見込みのない新しいモノの購入費・維持費と比べると、実際のところあまりお金がかからない。

 

そうすると、本当に大事な人やモノに囲まれて、余裕のある暮らしができるようになる。

 

もちろん、減らせば減らすほどいいというような簡単な話ではないのだろうけれど、基本的に我々は多くの人と付き合おうとするし、多くのモノを持とうとする傾向にある。

 

もう会うことはないだろうなという人、特に会いたいなと思わない人、ここ一年間使っていないモノ、使わなくても生活に支障のないものは、定期的に手放していこう。