おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

『サイコロジー・オブ・マネー』という本を読んだ。

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サイコロジー・オブ・マネー』という本を読んだ。


この本の著者は「真の成功とはラットレースから抜け出し、心の平穏のために生きることである」という言葉を座右の銘としているそうだ。


「ラットレース」というのは、収入が増えるに従い生活水準をあげてしまい、入ってきたお金がそっくりそのまま出ていく(あるいは収入以上に出ていく)ものだから、延々と働かざるを得ない状態におかれてしまっていることを指すのだろう。


よってラットレーサーたちは働かないという選択ができない。一旦休憩しようという選択ができない。


著者は上記の座右の銘に従い、働き始めた頃から生活水準をあげていないという。


そうすると周囲の見栄張り無限地獄、マウント合戦に巻き込まれることがなく、収入が上がっていくにつれ貯蓄率が上がり、それなりの資産ができて、精神的にかなり安定した生活を送ることができている。


僭越ながら、私も著者と同様に生活水準を上げようとは特段思わない(その必要性を感じない)。


私はニート時代・バックパッカー時代の無収入期のおかげで倹約精神をある程度は養うことができたし、移動の多い長期間の旅を通じてモノは少ないに越したことはないということを痛感した。


会社員として週5日働くようになり、定期的に収入を得られるようになった今も私が日々やることはニート・フリーター時代とほとんど変わっていない。


自由な時間ができたら基本的に家事か読書か運動か勉強か散歩をしている(時折登山や一人旅に出かけることもある)。


自分にとって必要だと思うものについては品質にこだわるようにはなったが、それはものを何度も買い替えたくないからで、長期的な節約のためだ。


私の周囲では滅多にないが、何らかの贅沢品でマウントをとられた時も、ほーん、としか思わない。見栄の張り合いに振り回されていたらきりがないし、時間と労力と金の無駄だからな。


著者は何かを選択する時、「これをして夜安心して眠ることができるだろうか?」と自問して結論を導くという。


ブッダも快楽主義者のエピクロスも心の平穏のために何をすれば良いのかを説いた。


お金に翻弄されがちな我々が手に入れるべきなのは、莫大な富ではなく、平穏な心であり、それは具体的には夜安心して眠れる状態だ。お金はそのための一つの手段にしか過ぎない。とは言っても、お金を軽視してもいけない。お金は無論大切だ。


お金とは嫌でも死ぬまで付き合っていくことになる。


定期的に自分とお金の付き合い方を見直していくためにこの本は実に有益であった。


またそれ以外にも多くの物事に応用できるような知見がこの本には含まれていた。


ありがたいことである。