おすかわ諸行無常日記

人生まじで諸行無常

西成で自省する時間


f:id:osukawa:20220102101843j:plain

昨年に引き続き、大晦日は大阪の西成を訪れた。


西成は言わずと知れたドヤ街で、個性豊かな人が集まっている。


そして、西成はこの世の中の負の側面、そ生の一側面を如実に表している場所であり、その辺の寺や神社よりも遥かに有効に自分を見つめるいいきっかけを提供してくれる。


西成を歩くと、そこには何らかの因果によって人や社会から打ち捨てられた人がいる。その中にはもう壊れてしまったような人もいる。行けばわかる。


私はそのような人を馬鹿にしたいわけでは決してない。


むしろ自分もいずれはこうなってしまうのではないか、この人達と自分は紙一重なのではないかと思ってしまう。


そして、一線を超えてしまわないようにするためには日々どう過ごしていけばよいのだろうと反省を促される。


西成に行くと、貧困への恐れ、己の愚昧さ、自制の大切さ、己の無力さ、己の無知等を自覚させられる。


西成のおいちゃんたちは、金銭的には貧しい(だからといって不幸であるとは限らないが)。金銭的に貧しくならないためには、お金との適切な付き合い方を学ばなければならない。それが金融リテラシーだろう。お金の勉強はやはり今後も続けていかなければならない。


「労働・酒・女・ギャンブル・喧嘩」これらのみで己の価値観が形成されていると零落してしまい、どうしようもなくなってしまう恐れがある。今の自分はどのような価値観をもっており、それらは本当に価値のあることなのか、そしてそれ以外の有益な価値観を自分は本当に持ち得ないのか。自分の視野や価値観が閉塞的で硬直的にならないように日々の読書、特に乱読が重要になってくるところである。


欲そのものは否定することはできない。我々は欲によって形成されているので、欲を否定したり、欲をなくそうとするということは自分をなくそうとすることだ。欲なくして自分はない。問題はその欲に振り回されっぱなしであることだ。


金銭欲に振り回されて、人を騙したり、人からモノを盗んだりして犯罪を犯してしまう。ギャンブルに手持ちのお金を全額投じてしまう。これだと人生が破滅してしまうのは当然だ。金銭欲は大いに認めるとして、その欲を人を傷つける方向に向かわせるのではなく、「どうすれば人のためになるだろうか」という方向に向かわせる自制心が大切である。


欲は欲で認め、それを自制するためには、人間の欲と真正面から向き合い、その本質を説く、仏教に耳を傾けたり、その種の本を読んである程度の自制心を醸成しておく必要がある。


西成の負の側面を目の当たりにすると、寒空の下、路上で寝ているホームレスのおいちゃんたちをどうにかできないだろうか(おいちゃんたちにとっては余計なお世話かもしれないが)と思ってしまうが、この問題は私個人にとっては途方もなく大きな問題だ。自分一人ではどうしようもない。この時痛感する無力さが、自分の慢心を少しは低減してくれる。


私の普段の世界は職場とアパートとスーパーの三角形内にある。そこから飛び出して、その三角形内とは圧倒的に異なる成り立ちをした世界を見ることによって、別の世界が本当にあるということ(だからといって自分と無縁というわけでは全くない)、自分の世界がとてつもなく狭いということ、また、自分が知らない世界が無数に存在しているということを改めて実感させられる。


私は神社仏閣の代わりに西成に行き、おみくじの代わりにパチンコをし(0.5円パチンコに1000円を突っ込み、楽勝で負けた)、ぜんざいの代わりにホルモンを肴にカップ酒を飲んだ(ものすごく美味しかった)。


そして人でごった返した近くの天満宮ではなく、閑散とした西成に行くことで、少しだけではあるが自分を省みることができた。良い時間を過ごすことができた。


西成に感謝です。