おすかわ諸行無常日記

人生まじで諸行無常

掃除は仏教の基礎らしい

仏教動画を見ていると、掃除は仏教の基礎であるという。


掃除をすることが習慣になると、ちょっとした汚れに気が付きやすくなり、ものを整理整頓するようになり、余計なものが減っていくようになる。


物事を清潔にし、整頓するようになると、自分自身の外見や内面も清潔にしようと心がけるようになり、仏教が重視する内面にも注意を向けるようになり、その結果、己の煩悩のどうしようもなさに気がついていき、悟りの道が開かれていくのだろう。


確かに私も掃除を習慣的にするようになってから、物事や持ち物や内面の整理をしやすくなったような気がする。


私はかつて滅多に掃除もしないようなぼんくらだったのだけれど、ニート時代に沖縄のとあるゲストハウスに居候していた時に、ゲストハウスに無料で宿泊する代わりにゲストハウスの手伝いをしていたことがあった。


その時の毎朝の仕事に部屋の掃除とベッドメイクというものがあり、掃除をする毎日を半年ほど送っている内に、掃除をすることが習慣になってしまった。


沖縄の日々を終え、実家でニート暮らしをしていた時も、その習慣のおかげでどうしても掃除しなければ落ち着かなくなっており、2日に1回は掃除を行い、ニートであるにもかかわらず、祖母や母親からは重宝された。


掃除をし、整理整頓すると、余計なものが目につきやすくなる。


モノが多いと掃除が捗らないと思ったのか、要らないと思ったものはどんどんと捨てていくようになり、モノを増やすことに抵抗を覚え始めたのも事実である。


今も掃除は休日のルーティンとして1週間に1度のペースで行うようにしている。


そして、掃除がしやすいように部屋には机と椅子と折りたたみテーブルと座椅子と布団と懸垂マシンしかない。


布団と座椅子と折りたたみテーブルをベランダに出し、机と椅子と懸垂マシンを適宜動かしながら(どれも楽に動かすことができる)掃除を行えば、床を全面的に掃くことができ、拭くことができる。


物事が整った状態の気持ちよさを知ることによって、そうでない状態、つまり異常な状態に敏感に気がつくことができる。


というのが理想なのだろうけれど、私はそこまで敏感にはまだ慣れていないと思うが、まぁそういうことは良いとして、とにかく掃除というのは良い習慣であることは間違いないので、これからも地道に続けていこう。