おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

日々の漠然とした強迫観念

一分一秒を生産的な活動にあてなければならない。


何か金になることをやっていなければならない。


一分一秒を充実したものにしなければならない。


というような強迫観念に急き立てられてながら日々を過ごしているような気がして、どこか落ち着かない気分になってしまうことがある。


これは何なのだろうか?


何かに急き立てられているようでいて、よしじゃあこれをやろうというような何か具体的なことを思いつくわけでもない。


かと言って、いっそのことだらだらと一日を過ごしてみると、とんでもなくもったいないことをしたような気がして、ある種の罪悪感に苛まれる。


これは何なのだろう。


一つの仮定として、私は今の生活に飽きているのかもしれない。


何か新しいことを始めてみるか、環境をがらっと変えてみる必要がありそうである。


以前、遍路道を歩いていた際に、泊まった善根宿で読んだ仏教の本に、人は退屈と不満を行ったり来たりするだけだとあった。


人は退屈すると、何か新しいことを始める。


新しいことは最初は満足感を与えてくれるが、それに慣れてくると、人はそこに不満を感じ始めるようになる。


その不満を解消させようと工夫をこらし、一時は不満のない日々を送るが、まもなく新たな不満が噴出してくる、あるいはその事柄に飽きてくる。人生はその繰り返しであるという。


であれば、今の私も不満なり退屈なりから抜け出す術を見つけ出さなければならない。


しかし、その術をたとえ見つけ出したとしても、それもいずれは不満なり退屈なりに成り果ててしまう。


まいったなー。


こういう時は山歩きだな。